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【お知らせ】アメブロに完全移行いたします

  「俺のミッション 中国ビジネス三都物語 執筆エピソード」ブログをお読みくださり、誠にありがとうございます。  かねてより広報して参りましたが、当ブログをアメブロへ移行しております。  以降、google bloggerでは投稿を控える予定です。  是非とも下記URLへのご来訪、及びフォロワー登録をお願いいたします。   「俺のミッション 中国ビジネス三都物語」裏話ブログ (ameblo.jp)  ブログの主目的は、拙著に書ききれなかった深いノウハウをお伝えすることにありましたが、言語とか失敗話とか複合して投稿しています。  ご興味おありの部分、覗いてやってください。  皆様のご健勝とご健康を祈念申し上げます。

華南代理店会議in海南島三亜

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  2002年12月31日から2003年1月2日まで家族と海南島で過ごした主人公荻村は、  「2~3年の内にここで華南代理店会議を行う!」 と心に誓うのでした。  結局、2003年度は京信深圳販社が立ち上がったばかりなので事務所会議室で、2004年度は西安で行いました。  西安は秦の始皇帝陵兵馬俑で有名ですが、いずれ詳細を記すことにします。  2003年8月末には債務超過に陥りますが、その後日本からの輸入製品が通関し始め、首の皮ひとつで資金ショート回避、キャッシュフローがみるみるうちに改善していきます。  荻村は2004年当初から様々な拡大打ち手を仕掛けます。  金がないと投資ができないことは言うまでもありません。  2004年~2005年の営業所進出は5箇所、京信華南販売キャンペーンなども実施しまして、勢いを増していきました。  そして、2005年の7月、念願だった海南島三亜での華南代理店会議を実施するのです。  (この頃、代理店を特約店と言っていたようです。) 旅費は全て京信深圳で負担します。  代理店もですが、随行する社員も大喜び、本部である上海からもプロダクトマネージャーらがわんさか押しかけてきました。  7月2日会場のホテル入り、翌日朝、ゆっくりめの会議開始、午後3時頃には終了させ、宴会までホテルのプライベートビーチなどで過ごしてもらいました。  7月3日会議の様子↓    ホテル周辺や7月3日会議終了後のひととき↓みんな嬉しそう。  モーターパラグライダーに乗っているのは主人公荻村です。  操縦者に  「危なくないのか?」  聞きましたが、  「完全没問題。」 とのことで乗ってみました。  なんとも言えない気持ちの良さでした。  500元です。  7月4日は全員で三亜から更に南の孤島へと船で行きます。  更に海の水がきれいになりました。  会議より懇親の目的の方が大きいと思われます。  翌年度は華東代理店会議も海南島で行うことになりました汗   「真似するな!」 と言いたいところですが、代理店さんらに喜んでもらえたなら先陣を切った甲斐がありました。  ではまたお会いしましょう!再見!

海南島旅行with来期計画

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  「海南に行かなければ(自身の)身体がよくなかったことに気づかない。」  前回紹介いたしました。  今回、海南島に関する裏話その1をお伝えいたします。  2002年12月30日(月)、拙著「俺のミッション」主人公荻村の妻恵子と娘が遊びに来ました。妻は2度目、娘は初めての中国です。  12月31日は日本では大晦日で既に年末年始休暇に入っている会社が多いと思いますが、中国は旧正月を祝いますので、国家カレンダーとしては就労日となります。  京信中国は会社方針で大晦日を休みとしておりました。  12月30日(月)は出勤日です。その年、京信日本も出勤日でしたが、その当時年末の最終日は午前中出勤、最後の1時間机周りなど掃除して12時に終業という慣例となっていました。何かうきうき感が漂っていました。  30日の午後3時頃家族が空港に着く予定で、荻村は朝から事務ワークをしておりました。  すると11時ちょっと前、日本本部から山ほど添付ファイルのついたメールが送られてきたのです。  悪寒を感じながら開くと、   to:海外法人拠点長   title:来期(2003年度)計画策定指示   from:本部長 でした。  荻村が担当した京信深圳は現時点では香港法人の連絡事務所に過ぎませんが、来年度からは法人として独立するため、京信のグローバル連結決算対象になり直接指示が来たわけです。  本部の担当者は12時にみんなと一緒に「ご苦労さん会」に行くため、大掃除はサボってぎりぎりで送信のエンターをしたのでしょう。中国との時差は+1時間となります。  担当者はメールを送信した瞬間、  「今年も終わった-!さあ、ご苦労さん会にレコード大賞、紅白歌合戦、行く年来る年、元旦だー!」 となんとも言えぬワクワク感があることは荻村も昨年までの経験上よく解っています。  しかし、受け取った方は年末年始気分は吹っ飛びます。  荻村は営業戦略などは十分策定できる自信はありましたが、P/L(損益計算書)、B/S(貸借対照表)、C/F(キャッシュフロー)を誰にやらせるか?悩みました。  本部からのシートはグローバル会計基準に沿っています。  中国当局に提出する財務諸表は中国の会計事務所に作ってもらいますが、会計基準が違います。  赴任時、深圳駅まで迎えに来てくれた張は出納係で財務ではないので  「財務専門家を...

重慶に行かなければ結婚が早すぎたことに気づかない

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  中国語の試験の話題が続きました。  中国語の関連ネタをお伝えいたします。  試験には出ないと思いますが、こういうことを知っていると中国人とすぐに仲良くなれると思います。  「おまえは中国通だ!」 と褒められます。  「重慶に行かなければ結婚が早すぎたことに気づかない。」  中国語で  「不到重庆不知道结婚太早。」  恐らく全中国人民が知っている言葉です。  「俺のミッション」の主人公荻村は、赴任2-3ヶ月後、当時の営業部長RZから昼食に重慶料理店に誘われ、この言葉を聞きました。  RZは京信深圳では唯一の東北は黒竜江省出身で、彼だけ中国語の発音が教科書のようでした。背も高かったです。  どうやら  「重慶には美人が多く、重慶に行ったら自分の結婚を早まった、ことに気づく。」 というような言い回しのようです。  重慶は元四川省で現在は北京市、上海市、天津市と並び中国の直轄市となっています。  美人が多い理由ですが、重慶の料理は唐辛子と花山椒をふんだんに使い、とても辛くしびれるのですが、この作用で痩せ形かつ色が白い美人さんが多い、ということです。  (「辛い」は「つらい」とも読めますが、常用漢字表では「からい」となっており、「つらい」はひらがなで書くことが一般的なようです。)  確かに荻村の知り合いの駐在員も 「重慶の女性が一番いい!」 と言っていた人も数名いました。  ↓百度で「重庆 美女 (重慶 美人)」で検索した写真を拝借します。  四川省の省都である成都の料理も大体同じなのですが、火鍋を食べ比べますと成都の方が油が多く、重慶は唐辛子の純粋な味で食べさせているような気がします。  せっかくなので写真を掲載しましょう。  荻村が最後に重慶を訪れた2020年9月のものです。  上から「重慶のストリート火鍋屋」「九宮格火鍋」「夜の長江(揚子江)」です。↓  「九宮格火鍋」とは鍋が9つに別れており、具材別に煮込むことができます。  まるで地獄で沸騰している血の池のようです汗  お子様用(素人用)の鴛鴦(おしどり)火鍋はここで注文する人はいません。全部激辛です。  鴛鴦火鍋は真ん中で2つに別れ片方が辛く片方が辛くない鍋のことです。↓  重慶でこれを頼むと軟弱者にされるのではないかと想像できます。  油碟と呼ばれる小さいお椀に香油とニンニク、パクチーを入れ、付けて食...

中国語の試験についてⅡ~HKS(漢語水平考試)

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 前回は日本中国語検定のことを中心に書きましたので、今回はHSK(漢語水平考試)について経験を語ってみます。  筆者は2011年に再び上海に赴任、しばらく中国語を使っていないので、2012年にHSK5級を受けてみました。  何故5級を選んだか?と言うと、最上級の6級の問題を見たらあまりにも難しかったので5級にしておいた、という理由です。  学習の仕方ですが、自分に合ったやり方があると思います。筆者の場合は  「生成効果」 と呼ばれる、いわゆる問題解きですね、これが最も集中できるので試験を受ける状況に身を置くのがよいと自己分析していました。  5級は正直簡単でした。  過去問を解いてみて、コレは問題ないな、と思いました。  なめていたので、時間をきっちり制限しての練習はしませんでした。  ところが阅读(リーディング)だけは問題数が多く、しかもじっくりやり過ぎて3割くらい残してしまったのです汗  その結果、リーディングがぎりぎり60%、リスニングは90%位だったと思いました。  日本中国語検定2級と同じ難易度の問題かもしれませんが、全て中国語なので、少し面持ちが違いますね。  ただし、HSKは3科目(听力(リスニング) 阅读(リーディング),书写(記述))で合計300点満点中180点取れば合格です。正当率平均60%でよいのです。  日本中国語検定2級はリスニングと筆記、共に70点以上の正答が必要です。  この差は非常に大きいですね。  よってHSK5級より日本中国語検定2級の方が合格するのは難しいのではないでしょうか?    HSKの試験会場ですが2012年当時、上海交通大学の教室でした。↓  申込みはinternetで行えるのですが、受験料支払いは会場まで行かないといけません。  そして成績表を受け取るのも会場まで来い、ということです。  結果、3回も行ったことになります。利便性が悪い。  (2017年HSK6級を受験した時には1回で済みました。受験料をどう支払ったのか?記憶がありませんが、既にスマホペイだったのか?銀行振込だったのかもしれません。)  筆者が受けた5級の教室には20名程いましたが、みんな中国人のように見えました。  受験監督に中国語で語りかけ、普通に質問していました。  恐らく華僑ですね。会話はできるけど漢語の読み書きが苦手なのかもしれません。  当...

中国語の試験についてⅠ~日本中国語検定

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 このブログに中国語とかHSKなどの検索で入って来られる方もいらっしゃるらしく、中国語の試験について経験を語ってみます。  今回は著者はやぶさひろの実体験としておきます。  拙著「俺のミッション」の主人公荻村淳一は2002年から2010年まで深圳にいた設定ですが、著者は2002年から広州、2005年末頃、上海へ転属しました。  荻村と同じように有名大学で外国人へ中国語を教えていた先生から厳しい指導を受けていました。  赴任当時、windowsは既にマルチ言語対応していましたが、使用していたメーラー(notesというintranet)が追従しておらず、最初1年は中国語を手書きしていました。  これが功を奏して簡体文字が書けるようになったのかと思います。  日本文字より簡単なのでメモを取るのにも便利です。  ちなみにガラケーでの短信は英語か中国語しかできませんので、中国語短信の発信件数は毎月1,000件ありました。1件0.1元で毎月短信代だけで100件支払っていたのです。会社の経費でしたが……  1年後にnotesがバージョンアップしマルチ言語対応になってからは、PCメール書きにも拍車がかかりました。  中国語の構文(文法)をマスターし単語を組み入れていったので、コロケーションがおかしいのもありますが、取り敢えずよく通じます。  メールを使ったら通訳いらず、というか通訳を介すよりも速く正確でした。  さて、当時日本中国語検定は広州では受験できませんでした。  上海への転属後、2006年春に2級を受けてみたのです。  過去問も2-3年分やっていましたが、とても簡単に感じました。  HSKと比べ文法が重要視される問題が多い印象です。あくまで2級の場合です。今まで仕事のためやってきたことがそのまま活きた感覚でした。  そして日本語から中国語、中国語から日本語の問題もあるので、日本人が受けるには実践的ではないでしょうか。  受験した感触は  「もしや満点かな?」 と楽観視していました。  しかし結果は「リスニング」「筆記」共に80点くらいだった記憶があります。  共に70点以上が合格です。「共に」がHSKと違うところです。  著者は「円錐六十号~円錐角膜の話」で書きましたように、眼が悪いので細かい認識をしづらかったのですが、日本漢字と中国漢字で微妙に違うところがあるのです。  ...

中国での誕生日パーティー

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  みなさん、こんにちは。はやぶさひろです。  今回は101回目の書き込みになります。気持ちを新たに中国での誕生日パーティーの思い出を記したいと思います。  2004年2月のことです。  深圳での会社設立時の困難を脱出し、精神的にはかなり回復していた頃でした。  「今日は誕生日だから定時に帰るよ。」 と当時の秘書に何気なく語ったのですが、  「誕生日パーティーをしましょう!」  こう言ってくれました。  事務所にいるマネージャーらも参加してくれるとのことで、近くの韓国料理店(焼き肉屋ですな)で会食することになりました。  ちなみにですが、こちらでは誕生日の主である荻村がご馳走することになります。  ケーキはその日に予約して「荻村」の名前入りで用意してくれました。  ケーキの写真を下に付けましたが、その頃のは凄い色で、  「身体に悪そうだな~」 とか思ったりもしました汗  上の写真はちょうど拝んでいるように見えますが、手拍子です。  「ハッピー・バースディ・トゥー・ユー」 の中国語版を唄っています。  誕生日は中国語で  「生日」  そう、「誕」がありません。  「祝你生日快乐,祝你生日快乐,祝你生日快乐,祝你生日快乐。」  ※「快乐」は「快楽」です。  同じフレーズを4回繰り返します。  「dear Ogimura san」 という3回目のフレーズも「祝你生日快乐」となります。  何歳になっても祝ってもらうと嬉しいものです。  それから17年、中国駐在最後の誕生日は2021年2月のある日でした。  総経理職権濫用?で、自身の誕生日に次代コーポ広州分公司の年会(忘年会)を実施しました。  というのはジョークですが、僅かな期間に2回も宴会をやってもらうのが大変だからです。  2020年1月1日に京信上海販社・北京販社・深圳販社を統合し、ひとつにいたし、特に深圳販社メンバーは大量に解雇、人を入れ替えておりました。  下の写真をご覧ください。 ↓審判を下す前の深圳販社メンバーの様相とは打って変わって、皆、素直で嬉しそうです。  いい雰囲気の組織になりました。 ↓忘年会なので広東エリア恒例の子豚の丸焼きという縁起物も出ました! ↓やはりケーキを用意してくれました笑  「荻村总经理  生日快乐~荻村総経理 生日快楽」とチョコレートで書かれていますね。  次代広...

【100回記念】恐るべし中国児童

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  みなさん、こんにちは。  「俺のミッション 中国ビジネス三都物語」を執筆した「はやぶさひろ」です。  読者から「もっと細かいところが知りたい」とのご要望が多くこのブログを始め、今回でついに100回目の投稿となりました。  ご覧いただきましてありがとうございます。  毎日1件、100回の投稿を目標としてきましたが、ひとまず達成できました。  次回から更新が少しスローになるかもしれません。  筆者は執筆活動の他、外国人への日本語教師もいたしておりまして、今回は現在オンラインで教えている中国人児童のことを書いてみます。  教育に関し日本とかなりの差があるようです。  相手は男の子で小学校四年生になったばかりです。中国はアメリカと同じく夏休み明けに進級いたします。  ニックネームは「豆豆」です。  授業が始まる前にアイスブレークとして簡単な日本語挨拶から入ります。  「豆豆くん、こんばんは。」  「こんばんは。」  「ご飯食べましたか?」  「食べました。」  なかなか発音がきれいです。  この日は最上級の勉強をする予定でしたので、準備した質問をまず中国語でします。  「你最喜欢的电视节目是什么?一番好きなテレビ番組は何ですか?」  「奥特曼!~ウルトラマン!」  「ウ・ル・ト・ラ・マ・ン! はい、言ってください!」  「い・ち・ば・ん・す・き・で・す! はい……」   ※ウルトラマンが流行っているのです。少年達のヒーローです。    悪い怪獣を我らの味方ウルトラマンが成敗するので、教育上よいかもしれません。    悪い奴はやっつけられる!   日本語学習項目は以下省略します。  「你最喜欢的动物是什么?~一番好きな動物は何ですか?」  「当然恐龙!~恐竜に決まっているじゃないか!」   ※恐竜って動物かいな?ま、いいか。  「那,最大的恐龙是什么?~では、一番大きい恐竜は何ですか?」  「是中加马门溪龙。」  「??何だそれ? アルゼンチノサウルスではないの?」   ※調べてみると「マメンキサウルス」という中国の重慶で発見された恐竜のようです。    百度百科から拝借しました↓  姿を見るとアルゼンチノサウルスと同じですな。  つまり恐竜時代には南アメリカ大陸とユーラシア大陸(少なくとも現在の中国)はつながっていたのでしょう。  「那么,你知道恐龙是几千年前绝...

天は私に二物を与えました

 中国語ネタが続きました。  これまでに中国人は遠慮せず要求してくるという表現をしてきましたが、そうしないと淘汰される社会背景があるからだと思います。  拙著でも上海営業部長の徐や複数人が、「自分の評価が低い」と総経理室に交渉に乗り込んで来ることも書きましたが、それは日常茶万事です。  荻村が8年間の深圳駐在を終え日本へ帰任した際、しばらく事業部勤務だったことも記述しましたが、その部署に新入社員の中国人もおりました。  日本の有名市立大学の大学院卒で、確かに美人でした。  彼女は配属の挨拶でこう言いました。  「天は私に二物を与えました。ですから私は頑張らなくてはいけないのです!   よろしくお願いいたします!」  みんなあっけにとられていました。  荻村は特段驚きません。彼女に聞きます。  「两物是什么?(二物とは何だ?)」  「就是才貌双全(才色兼備です)」  つまり「頭も良く美人でもある」ということです。自分で言いました汗  「日本ではそれは言わない方がいいよ」 と諭します。  事業所の卓球同好会で彼女とピンポンしたり食事する機会ができ聞いてみました。  彼女は貴州省の片田舎出身でした。  貴州省は茅台酒で有名なエリアですが、中国一GDPの低い省です。  その田舎町にべっぴんさんで賢い子が生まれたので、親戚縁者あげて資金援助し、日本の市立大学院まで出させてくれたそうなのです。  親や親戚縁者から  「お前は天から二物を与えられた選ばれた存在だ。一生懸命頑張らなければバチが当たるよ。」 と日々言われながら育ってきたとのことです。    確かに新人なのに頑張り方が違いました。  MBO(Management by Objectives)の自身の目標項目を机のパーテーションに貼り出し、常に進捗チェックをしていました。  この目標を達成したらどのような役に立つか?ということより  「自分の評価と給与が上がる。」 ということに集中していたように感じましたが、若いのでそれでよしとしておきましょう。  1年半位頑張って働いていたようですが、突然  「結婚して北京に行くことになりました」 と退職願を出したと聞きました。  親戚縁者の投資を回収できないかもしれない?とお考えの読者の方もいらっしゃるでしょうが、とにかく家族を大切にする中国文化なので、旦那さんがお返しするでしょう。...

教科書に出ていない中国語~知っていると便利

 みなさん、こんにちは。  「俺のミッション 中国ビジネス三都物語」を執筆した「はたぶさひろ」です。  読者の方から  「もっと細かいところを知りたい」 とのご要望が結構多く、このブログを書き始めました。  間もなく100回目の更新に手が届きます。  元々google bloggerで書き始めたのですが、タイトル一覧の機能が標準でなく、またインデックス登録もされないので、アメブロ(Amebaブログ)にも並行して投稿しています。  よろしければそちらへの移行をお願いいたします。↓ https://ameblo.jp/orenomisshon/  さて、前回、「ステーキの焼き方の質問すら聞き取れない」という話をいたしました。  それ以外にも簡単なことでも聞き取れないことはたくさんあります。  ひとつは教科書と違うことを言うんですよね。  例えば相手の名前を聞きたいとき、名字を尋ねたければ  「您贵姓?」  フルネームで聞きたければ  「你叫什么名字?」 と教科書では習ったと思います。  ところが小洒落た中華レストランとかに行き、ホール長のようなマネージャーの人が名刺を持って上座(というのでしょうか?一番偉い人が座る席ですね)に座っている人のところへ挨拶に来ます。  「#$%&*@+?」  全く聞き取れません。  日本語のできる社員が一緒なら  「荻村さんの名前を聞いています」 と教えてくれますが、中国語で何と言ったのかは分かりません。  「我怎么称呼您的?」 と言っていたのです。  聞き取れるようになるのに何年かかっただろうか……?  直訳すると  「私はあなたを何と呼べばよいか?」  つまり  「何とお呼びすればよいでしょうか?」「お名前は何と言われるのですか?」 という少し丁寧な尋ね方になっていると思います。  これを読んでおられる駐在経験者の方で、やっと分かった、という人もおられるでしょう。  更に何年ぐらい前からでしょうか?ある程度のレベルのレストランに行きますと  「你有什么忌口的吗?」または省略して「有忌口的吗?」 としばしば聞かれるようになりました。  忌は禁忌の意味ですね。  「忌口」は「食べられないもの」です。  アレルギーなどの病気を誘発する食材、または宗教の戒律上の問題で口にできないものです。  この単語は辞書には載っていますが、かつて教科書や参考...

「ステーキの焼き方は?」すら聞き取れない中国語

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  麗老師から厳しい中国語指導を受けた荻村ですが、街へ出たときネイティブがさらりと言ってくる言葉は長い間、本当に聞き取れませんでした。  まだ指導を受ける前だったかもしれませんが、プチノイローザ状況の引きこもりの日曜日、  (こんなことではやばい!) と思い立ってJUSCO(現在のAEON)の入っている商業施設に行ってみることにしました。  日本の香りが少しでもするのではないか?との淡い期待に反し、全くありません。  スーパーではドリアンの臭い?香り?が、フードコートでは臭豆腐の臭いがプンプン、初めての日本人は恐らく吐き気がすると思います。  ショッピングエリア内も凄い人です。  深圳は広東省で亜熱帯地帯です。  夏場は多くの一般層市民が涼みに来ているのです。  (筆者も最近気づきましたが、日本でも平日ショッピングセンターへ行くとシニア層の方が涼んでいます。でも、その比ではありません)  正に「芋を洗うが如く」の表現が適切です。  そこでは色んな方言が飛び交っているようで、プチノイローゼの荻村にとって  異国どころか異星人(エイリアン)の中にいるような心理状態になり、危うく壊れるところでした。  そこから逃げだしエスカレータを昇っていくとレストラン街らしきフロアがありました。  「沙龍」 という名称のレストランがあります。  中国語読みで「シャーロン」、「サロン」のことでしょう。  店前ディスプレーのメニューサンプルを見ると、カレーライス、ハンバーグ、ステーキ、天ぷら、のように和洋折衷のレストランのように思えました。  (ようやく日本の香りを味わえそうだ!)  荻村は喜び勇んでサロンに入ります。  「何を注文するか?(你要点什么?の直訳です)」 と小姐(ウエートレス)が聞きに来ました。  (久しぶりだ、ちょっと贅沢してやるか) とばかりメニューの  「ビーフステーキ」 を指してみました。  間髪おかずに小姐が何か言いました。  「※%」  「?????」  小姐は「※%」を2~3回繰り返しますが荻村には発音すら聞き取れません。  荻村は汗が出て頭が痛くなってきて、「止めた」とばかり手を振り  「カレーライス」 を再度指さしすることになりました汗  (ここではステーキも食えないのか!)  とても悲しい気持ちになりましたが、カレーライスは普通においしかったです。...

麗老師という人~文革や性格など

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  麗老師からの厳格な指導により、中国語での直接コミュニケーション力や中国ビジネス適合能力が少しずつ高まっていった荻村です。  そんな麗老師から思いがけない本心を聞くことになりました。  文化大革命のことです。  麗老師は中国語の大学教師、旦那様は英語の教師や翻訳家をしているそうです。  いわゆる「知識人」です。  「文化」というのは「教養」の意味もあり、  「没有文化的人」 というのは、  「教養のないヤツ」 の意味になると思います。  麗老師夫妻は紅衛兵により迫害を受け、夫婦別々の農村に下放させられることになったそうです。  何と10年もの間、夫婦ばらばらで一度も会えなかったとのこと。  麗老師は  「暗黒の時代であり、***を恨んでいる」 と批判していました。  治外法権である荻村の部屋だから言えたのでしょう。  文化大革命について知りたい方は、「大地の子 作者:山崎豊子」の本かドラマを見られるとよいでしょう。  この小説は同時に「残留孤児」についても深く考えさせてくれるでしょう。  麗老師は晴れて旦那さんと一緒に暮らせるようになり、中山大学教師へ復権。  定年退職後は大学(国)から家をもらい、家庭教師をしながら社交ダンスなどをたしなみ、幸せに暮らしているとのことです。  ちょっとお節介(世話好き)で、荻村の家へよく果物のスターフルーツとか、北京風の麺を差し入れてくれました。  中国語の発音がよくなるようにと  「鄧麗君(テレサテン)の歌を唄え」 とCDを買ってきたくれたこともあります。  テレサテンは台湾人ですが、中国語の発音は非常に綺麗だ、というのが理由です。  確かに母語でない日本語で唄っているより数段美しい歌声です。  荻村は毎回、自主的に作文を書き添削してもらっていました。  お陰で中国語で書いてのコミュニケーションに違和感がなくなってきました。極端にいうと日本語を書くスピードと大差なくなっていました。  文書にすると中国語は日本語の半分の文字数になり、また、言いさしやどっちつかずのような表現が少ないので、仕事のことに関しては日本語より速く読める場合もありました。  さて、2004年初旬、1988年オリンピック卓球女子シングルス金メダリスト「陳静」さんが、広州天河区の運動公園内で卓球場をオープンしたというので、週末時々行くようになりました。 ...

麗老師の厳しい指導~中国語学習者向き

  香港の話が続きました。  一服して中国学習のことを書いていきましょう。  「俺のミッション」の主人公荻村淳一は赴任直後、言語と文化の壁にさいなまれ、プチノイローゼ状態になるのですが、言語能力の向上や文化適応に大いに協力してくれたのが中国語家庭教師の麗先生です。  拙著にも書きましたが「贼喊捉贼~泥棒が泥棒を捕まえろと叫ぶ」など中国文化も教えてくれた恩師です。  麗先生は2002年授業開始当時65歳でした。女性で満族の北京人、華南で最も偏差値の高い中山大学で外国人向け中国語教師を長年していたそうです。  先生は中国語では「老師」となり、自分にその敬称を付けて呼びます。中国では一般的です。  つまり麗先生は自分のことを「麗老師」と呼びます。  自宅のインターフォンで呼び出しがあり受話器を取ると、麗老師が保安(セキュリティの人です)に  「我是中山大学的丽老师(丽は麗の簡体文字で、私は中山大学の麗先生です、という意味)」 と自慢げに話している姿を目撃し、はー、そういうもんなんだ、と理解できました。    さて麗老師は北京人かつ専門の中国語教師なので、発音及び文法に対し、非常に厳しい指導をします。  荻村前後、同じく習うことになった日本人駐在員は全員クビになったようです。  荻村が紹介した2名もすぐにクビになっていました汗  「復習しない。宿題しない。すぐに仮病で休む汗。」 以上だそうです。  ※ちなみに赴任者の多くは最初張り切って学習しようとしますが、1年も経たないうちに挫折します。週1回2時間だけでは絶対に上達いたしません。  荻村はよい通訳がおらず、とにかく最低限の仕事上のコミュニケーションを取らねば任務を果たせないため、焦っていました。  宿題どころか、日記とかトピックスとか仕事上で伝えたい文章とかを書き、必ず添削してもらうようにしていました。  そんな荻村を麗老師は気に入ったらしく、  「あんたは見込みがある。でも週1回2時間では不足だ。週2回各3時間しよう!」 と提案します。  平日はキツいとは思いましたが、任務全うの使命感が強く提案を受けることにしました。  専門家なので1時間180元(元レートなら3,600円)と高く、月5,000元程度支払っていました。  巷では、  「荻村さんが麗老師を食べさせている」 との噂まで立ったほどです汗  基本は水曜...

香港ディズニーランド【写真多し】

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  2019年6月、年末の極秘ミッションである中国三販社統合のため広州へ転属し目まぐるしい日々を送っていた荻村ですが、10月1日からの国慶節休暇には妻恵子を呼び香港ディズニーランドでつかの間の休息を過ごすことにしました。  前回投稿したように同年3月から「香港民主化デモ」が勃発し、国慶節休暇に中国大陸から香港への旅行客はほぼないだろう、との考えでした。  読みは当たりました。  香港ディズニーランドは2005年9月にオープンしまして、荻村は2006年2月に行っています。  京信深圳工場に大規模な技術サービスセンターを設立し、そこを兼務することになったので、香港ディズニーのサービス水準の高さについて感じることが目的でした。  しかし期待は外れ、東京ディズニーランドでのウキウキ感はありません。  カストーディアル(清掃員)は恐らく香港人のおじさんで、つまんなそうに清掃をしています。  「何をしているんですか?」 と聞いてみても  「夢を拾っているんです!」 とは絶対言ってくれないでしょう。  「今晩のメシを食うために仕事してるのさ……」 こう答えそうです。  売店のお姉さんも普通のレジ係です。これはフロリダのディズニーワールドでも一緒でした。別途機会があれば書きましょう。  サービス水準はたいしたことないので、これなら荻村自身が構想する京信深圳技術サービスセンターの方が上だな、と自信を持ちました。  さて、2019年の香港ディズニーランドの話に戻します。  開園から14年経ち、規模も施設もサービスレベルも向上しています。  写真を中心にご紹介しましょう。 ↓エントランス ↓宿泊したホテル。ディズニーランドに隣接する直系ホテル。  一度お試しください。ゴージャスです!  上からホテル入り口、ホテルロビー、ホテルの裏庭 ↓メインストリート。人が少ない…… ↓チューバッカとR2-D2のお出迎え。  「あ!お前!チューバッカだろう!?」と叫んだら2回頷きました。 ↓スペースマウンテンもちゃんとあります。待ち時間なし笑 ↓昼間のパレード。普通でした。 ↓夜の園内 ↓プロジェクションマッピング。音楽も幻想的で今でも耳に残っています! ↓朝食と朝食時にグリーティングに来たミニーちゃん! ↓グッズ何もかもミッキーずくし。妥協無し!  2005年開園したばかりに「あまりりたいした...

2019年の香港の姿~民主化デモ

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 平穏だった香港ですが、2019年3月から「香港民主化デモ」が勃発します。  最初は「逃亡犯引渡条例改正案」に反対するものだったと思います。  簡単に言いますと海外で罪を犯した者が香港にいる場合、犯罪を犯した国へ引き渡す、ということになります。特に中国への引渡しを懸念してのデモであることは間違いないでしょう。  これは翌年2020年から施行予定の中国による「香港国家安全維持法」への恐怖があります。  この法律で何が禁止されているか?大きく下記4つと解釈されています。  1.分裂独立…つまり中華人民共和国から独立することです。  2.反政府…つまり中国中央政府(共産党)を批判することです。  3.テロリズム…つまり暴力的な行為です。デモでの過激行為も対象になるでしょう。  4.香港に介入する外国勢との結託…つまりアメリカやEUに手助けしてもらうことです。  違反者への最高刑は「死刑」です。  他国を規制することなどできるのか!?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、  中国からしますと 「香港は中国の特別行政区」 なのです。  筆者の想像ではありますが、「逃亡犯引渡改正案」と「香港国家安全維持法」により次のようなことが可能になります。  民主化デモの時、日本のニュースでもしばしば登場した  「周庭(アグネス・チョウ)」 という可愛らしい女性リーダーがいました。日本語もうまく操ってインタビューに答えていました。  結局逮捕され活動から足を洗う宣言をさせられました。  反政府勢力はカリスマリーダーの存在で大きく強くなっています。リーダーを潰すことが何よりと考えられています。  ある日突然周庭さんのような存在が現れたとしましょう。  これらの法律を使えば、邪魔者は簡単に消せるのです。  「あいつは中国広東省深圳市でも香港独立を訴えていた!証人がいる!香港安全維持法違反だ。中国に引き渡せ!」 とでっち上げればよいのです。「濡れ衣」大いにありでしょう。  政治犯やスパイ容疑は仮に死刑にならなくても、発狂させ廃人(意思無能力者)化し釈放する、というやり方が普通と聞いたこともあります。本当か否かは分かりません汗  さて、荻村は次代コーポで中国大陸だけでなく香港も管轄していましたが、さすがにデモ勃発後は行けていませんでした。  しかし10月立て続けに2回香港へ行くことになりました。 ...

香港での思い出Ⅰ

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  香港の王さんのお話が続きました。  拙著「俺のミッション」では荻村の中国初赴任はまず香港から始まった設定になっています。  京信深圳販社は京信香港販社全額出資で設立することが決定されていたからです。  そうすることで税制面での優遇政策があったのです。確かCEPAという協定だったかと思います。  さて、拙著で  「荻村は九龍半島の商業エリア『尖沙咀(チムサーツイ)』にある京信香港事務所で、総経理山本の話には上の空で、窓の外一面に広がる海ばかり眺めていた」 と書きました。  荻村は海なし県の出身なので、家や事務所から海が見える、という光景が珍しかったのかもしれません。  ↓事務所からとはちょっと角度が違いますが、ビクトリアハーバーとはこのようなところです。 ↓2003年2月京信香港メンバーとビクトリアピークで撮影した写真です。  いわゆる百万ドルの夜景です。 ↓その時のメンバーと2016年次代上海に赴任後にも会っています。ローカルの潮州料理店でしょう。  このような関係性の維持が後に自身を助けてくれることになるのです。  そして荻村も妻の恵子も大好きだった鯉魚門(レイユゥモン)という海鮮エリアです。  ↓写真は上から鯉魚門の様子。海の夕日が見えているのはレストランの窓からです。   真ん中は食材の水槽。下は料理出来上がりです。  料理をご紹介しましょう。香港へ行かれたら是非ご堪能ください。  左上:巨大シャコの塩胡椒揚げ(オーストラリア産。絶対食すべし)  左下:蒸しアワビ(ステーキのように食べる)  右上:ホタテのニンニクとマロニー蒸し(結構どこでも食べられますが絶品)  右下:蒸しロブスターにクリームソースパスタ添え(高級食材。現レートなら4万円位はするでしょう)  これだけ頼むと1人1万円では到底足りませんのでご注意ください。  こんな大好きな香港でしたが、2019年には酷いことになっていくのです……  次回以降ご紹介いたします。  再見!