究極の責任転嫁
みなさん こんにちは。はやぶさひろです。
拙著では第六章「我不知道(私は知らない)」というタイトルで責任転嫁の文化につい訴求しました。第五章「答非所問」でも触れましたが、無錫代理店事件の時、とても仕事ができ信頼している受注業務部門リーダーの王に「不正があるので出荷するな」と指示したにもかかわらず特別価格品を大量に受注契約してしまいました汗 「出荷するなとは言われましたが、受注するなとは言われませんでした」とケロリと言い訳される世界です。日常茶万事のことで毎日何回も遭遇しますので、いちいち気にしていると神経が参ってしまうでしょう。
本日はこの究極の責任転嫁の世界でのエピソードを二件ご紹介しましょう。
荻村は深センへの赴任後二ヶ月も経つとプチノイローゼ状態に陥っておりました。そのことは別途したためたいと思います。その後少しずつ日本人の知り合いが増えてきて、夜日本人と酒を飲み日本語をしゃべるのが唯一無二の楽しい時間となりました。
ある金曜日の夜でしたが、日頃あまり行かない日本料理屋で3名で会食したときのことです。ビールで乾杯の後、日本酒の一升瓶をボトルで入れてロックで飲むことが多かったのですが、その時も一本日本酒を頼みました。当時「美少年」か「辛丹波」という一升瓶がよく流通していて日本料理屋に置いてありましたが、製造元は日本ではありません。ロックグラスに並々注ぎ「じゃ、もう一回乾杯!」と誰からもなく語りかけ、一口飲んだ瞬間、「まずっ!」と吐き出しました。よく見ると日本酒は透明ではなく黄色く濁っているようです。
「ママを呼んでくれ!」と小姐(その頃はウエートレスをこう呼んでいました。「しゃおじえ」と発音します。侮辱的な意味を含むとして2005年頃から「服務員」と言われるようになりました)に依頼しました。
どうしても非を認めないのです。当時一本500元位だったでしょうか?これ以上喧嘩になるのも嫌なので日本人が先に諦めることになります。
もう一つ商売上でのお話をしましょう。2005年春のことです。この頃深セン販社は製品さえあれば売れるという状況下、荻村の取った経営戦略「フリーキャッシュは全て在庫に投資する」が功を奏し売上げ利益は右肩上がり、借金はほぼ完済、と軌道に乗っていました。何と資本金の15倍以上の在庫量を保有していました。当時まだ日本で生産している製品が売上げ全体の50%以上あり、発注後入荷まで3ヶ月かかりますので、在庫準備しておかないと商機を逸するのです。企業によっては海外拠点の在庫コントロールを本社で行い、その責任者は海外拠点の在庫回転率で評価されるという仕組みを導入しているケースがあります。納期3ヶ月で在庫も抑える、ということは売上げを伸ばすな、ということに等しい訳ですが、そんな簡単な矛盾に気づいていない本質を考えられないサラリーマンが多すぎる日本でもあります。それも別途書きましょう。
さて、赴任当初は大変な苦労はしたものの、それを乗り越え順風満帆、更なる拡大を!と息巻いていた時、とんでもない知らせが入ってきました。「福建省にある華南地区最大で全国2位代理店(FF社としておきましょう)が京信ブランドの偽物を販売した、と大問題になっている。顧客は激怒している」というものでした。荻村も怒り心頭です。「代理店が偽物を販売するなんて世界中見ても前代未聞だろう」「いくら中国第2位の代理店でも許さんぞ!」 そしてFF社総経理にアポイントを取り「もう一度偽物を販売したら代理店契約を解約する」という書名を作成、通訳の張と共に福建省のFF社本社へ飛びました。
流石の荻村もそれ以上追求することはできなかったのです。心の中で「このやろー!」と怒っていたことは事実でしょう。その後、福建料理(闽菜といいます)に舌鼓を打ながらFF社社長と乾杯を繰り返します。彼は何事もなかったように頻繁に荻村と乾杯し「高興、高興(嬉しい、嬉しい)」と繰り返します。
いかがでしたか?すぐ謝る日本。絶対に非を認めない中国。悠久の歴史の中で築かれた自己防衛本能なのでしょう。
今回、荻村が赴任当初プチノイローゼ状態に陥っていたことを少し書きました。次回その状況について詳細をご紹介してみます。
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