カルチャーショック
みなさん、こんにちは。はやぶさひろです。
前回は主人公荻村赴任時のプチノイローゼについてご説明しました。関連している事項なので今回と次回はカルチャーショックや異文化適応に関するある推論と、多くの日本人がショックを受けプチ引きこもりになる中国語三文字についてお伝えしましょう。
異文化に飛び込んだ人はまず「ハネムーン期」を迎えることになります。厳密にいいますとその前に少しの不安期はあると思います。主人公の荻村が初赴任直後、香港から羅湖(ルォフー)駅に降り立った際の「ソニーの腕時計」ショックや「深セン駅はどこなんだ?」と焦ったとき等がこれに当たると思います。その後、通訳の張と対面でき安堵感に浸ったら、HONDAのバイクじゃなくてHAODA(好大)だったり、マクドナルドが麦当労だったり新しいものを見て「うきうき」した気分になるものです。人によりますが日本で辞令をもらってしばらくすると目がうっとりと輝いている人も結構いました。まるで恋をしているような目つきです。「ハネムーン期」とはよく言ったものです。異文化接触での興奮状態、期待に胸膨らませている状態と言えます。
次に「ショック期(不適応期)」といわれる所謂「カルチャーショック」に陥ります。異文化接触での興奮が収まり、うまくいかない状況に悩んだり期待が焦燥感に変わったりとか落ち込み状態となります。研究によると多文化地域に移動してから一年位がピークの場合が多い、と聞きました。主人公荻村は日本人一人での法人設立というミッションをこなしていましたが、言語も文化も飲み込めない中、うまくいかない事ばかりか、上海の同僚に騙されたりしていましたので、結構早い時期から深セン販社事業が無事立ち上がり債務超過の危機を脱するくらいまで1.5年位続いたようです。
人によるのですが、ハネムーン期しか経験していない人もいるような気がします。性格によるのか?あまり難しい仕事や交渉はしてこなかったのか?(失言)は分かりません。
ショック期の後、回復期→適応期と進んでいきますが、面白いのは日本に帰国後、どうも日本の文化になじめない、違和感を感じることがあると気づきます。荻村も子会社社長として出向までの3ヶ月を過ごした事業部勤務が苦痛だったのです。仕事にダイナミズムがないし、意見を戦わせることもない、こんなことに嫌気を覚えることになります。これは「第二章:雄飛雌伏(日本語だと雌伏雄飛です)」で説明した「リエントリーショック」です。
もっと細かいことを紹介しましょうか。主人公は京信深センから日本帰任後、単身赴任先のアパート近くのセルフサービス食べ放題鍋屋さんでサラダ用のレタスを沢山取り鍋で煮て食べていました。中国はそうするのですがレタスは煮込んでもシャキシャキ感が失われずとても美味しいし煮ることでたくさん食べられるので健康にもよいのです。若い女性4人組がこちらを見ながらコソコソ話しています。あげくの果ては店員さんを呼んで「あの人、サラダ用のレタスを鍋で煮て食べてますよ」と告げ口するのです。(店員さんは聞くだけで特にアクションはありませんでした) 「レタスを生で食おうが煮て食おうが俺の勝手だろう!」 中国では周りの人の食べ方なんか気にしている人はいないので楽です。「レタスはサラダとして食べるもので、煮て食べてはいけない」という思い込みでもあるのでしょうか。ここではいちいち周りを気にして、変わったことはしないで生活しなくてはならないので疲れるのですね。規則に縛られるのが嫌いで常識に捕われない自由奔放な発想をする荻村は、京信深センでの8年間で日本流常識から開放されたのだと考えられます。
余談ですが、会合とかインタビューやらで日本人は前の人が言った意見と同じ事を言う場合が圧倒的に多いです。中国や欧米は逆に違う意見を言う場面が多くないでしょうか?日本は周りと違うことをすると違和感を持たれたり敬遠されてしまうという文化があります。日本の中では「慎ましやか」なのかもしれませんが、荻村が最後に所属した次代コーポの欧米社員は「日本人は会議で何もシャベラナーイ!」と呆れていました。国際社会に出て行った場合、積極的に意見を述べないと淘汰されます。
出展: https://www.sanko-nihongo.com/column/different-culture/
駐在を経験した知り合い読者の多くから、このリエントリーショックの部分に賛同した、日本での仕事はつまらない、また外国で生活したい、との感想が届きます。「なら、荻村淳一のように会社を辞めて飛び立つしかない」とアドバイスを送ります。新しい生活を手に入れたいのなら、今の現実を捨てるしかありません。できないのなら現実を受入れるしかありません。
次回は駐在員達がプチ引きこもりになるきっかけの魔法の言葉を紹介予定です。
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